ことばをまだ知らなかったときの記憶が、ぼんやりとだけどあります。
ことばのない世界は、目に飛び込んでくるものすべてが、輪郭もなく溶け合って、光の渦のよう。自分と世界との間にも境界線がなく、どこまでが自分で、どこから世界がはじまるのかも知らず。ただ、光の渦の中に、自分を包み込んでいる世界がある。それがすべて。あたたかく、原始的で、透明な記憶です。
ことばなどなくても、世界はただ、そこにある。この記憶を反芻するたびに、そう思い出します。ことばは、人の意識を通して世界のカケラを映しているに過ぎない。例えば、空の色。私が今日の空を「青い」と表現したとして、それは「青い空がある」という真実ではなく、「空が青く見える私がいる」ことを表現しているに過ぎないのです。秋晴れの日の吸い込まれそうに深い青空も、雨期の雲間にかすかに見えるブルーグレーの空も、ひとつの世界の中で溶け合い、空はただ、そこにある。
世界の真実を運ぶことばを
ことばのない世界の記憶は、ことばの世界に生きる私の原点です。やさしい光の中で世界とひとつに溶け合うあの安らぎは、ことばを得て人として歩き出すことができたとき、永遠に失われてしまいました。だから今、ことばの力に導かれて、私は、あの美しい光を迎えに行こうとしているのだろうと思います。
ことばを紡ぐとき、確かめずにはいられないのです。言葉の輪郭の向こうに、真実の光が見えているだろうか。言葉の奥底に潜り、あのやさしい世界の輝きのカケラを持ち帰ることができているだろうか。はじまりのことばは、ことばのない世界の記憶の、ことばのないメッセージです。
“おいしいか、それ以外か。それが世界の真実。このお鼻があれば、ことばは要らない。”