コンテンツへスキップ

Collection #3: loveの取説

英語で生活をはじめてから、”love”が日常生活のあちこちにあふれるようになりました。あっちでもlove、こっちでもlove、あんなときもlove、こんなときでもloveです。”love”は日常語、呼吸するようにloveするのです。さて、普通に訳せば、愛、愛、愛、愛にあふれた生活、となるわけですが、そうそう濃厚なものではございません。

キュンです、ラブです、めちゃいいです

英語のloveは、日本語でいう『愛』よりはるかに幅広い意味と意図を持って使われています。日常もっとも使われる頻度が多いのは、『大好き』『すっごくいいね』『きゃぁ、かわいい~!』『めっちゃウケるわ~』くらいの意味合いです。カジュアルなloveです。全部『愛しています』と訳しちゃ、too muchです。

たとえば、カフェで順番待ちをしているとき、後ろに並んだお姉さんが『ねえねえ、あなたのスカート、loveなんですけど!』なんて声をかけてくることがよくあります。職場で、上司にプレゼンテーションの下書きを見せたとき、『このまとめ方、いいね~。君の思い切りのよさ、loveだよ』といった褒め言葉になることも。私が個人的にloveな使い方は、誰かがすごく面白いジョークを言ったときに、みんなでお腹を抱えて笑いながら、口々に『もう面白すぎだよ。あ~、I love it!』と言い合うこと。キュンとしたり、ピピッと来たり、ワクワクしたり、いい意味で心がググッと動いたときに使える汎用性の広い言葉なのです。

マクドナルドのI’m lovin’ itというタグラインは、このloveですね。若者言葉では(この表現をする時点で若くないことが伝わってしまうのはなぜでしょう)、『まじうま~。マック、ラブ~』のloveの使い方です。デジタル・ネイティブ世代の人たちは、英語の概念を肌感覚で理解してそのまま採り入れるのが上手です。

月がきれいですね

カジュアルなloveと同じくらい使われるのが、家族や恋人、とても大切な友人に伝えるloveです。挨拶のような使い方がとても多く、これも全部『愛しています』と訳すと、重たいです。

たとえば、朝学校に行こうと玄関を飛び出していく子どもの背中に向かって、お母さんが『Bye, I love you!』と声をかける。これは、『愛してる!』ではなく、『行ってらっしゃい、気をつけてね!』と訳せばいいと思います。家でディナーを用意してくれている恋人に到着時間を知らせる電話をして、『ああ、待ちきれない。I love you!』と言って切る。これは、日本だったら『楽しみだよ。ほんと、ありがとう!』という感じ。友人同士でも、ここぞというときにはloveを使います。人間関係のトラブルで涙にくれている友人を、『大丈夫、ひとりじゃないわ。I love you』と慰める。これは、『そばにいるよ、私がついているよ』ということ。”I love you”に乗せて届けたい気持ちはloveですが、これを今の日本で日本人の言葉感覚で表現するなら、やはり『愛しています』ではないことがほとんどなのです。

辞書の定義では、”love”と『愛』はかなり近いのですが、言葉は意味だけで成立するものではありません。言葉は、伝える人と受けとる人の意図が、本来の意味の上に重なり合って成り立つものです。『愛』という言葉を使わないからといって、私たちの生活に”love”が足りないわけではありません。使い慣れない『愛しています』を絞り出すより、『気をつけてね』『ここにいるよ』『がんばってね』そんな言葉だからこそ伝わる”love”が、日本にはあると思います。

我らが大文豪、夏目漱石は、”I love you”の訳に悩んだ教え子に向かって、「『月がきれいですね』とでも訳しておけ」と言ったとか言わないとか。逸話に過ぎないお話ですが、私はとても漱石らしいと思っています。現代の日本では、それが『愛』の告白とはなかなか伝わりませんが、間接的な言葉の数々に愛を滲ませる感性は変わっていないと思います。

loveにあふれた1日の終わりに、心を伝えることばの役目について、ふと考えてみました。今夜はきれいな月が見えるでしょうか。