伝えた人はその場にふさわしいと思って選んだだけなのに、その後も長い長い時間、受けとった人と共に歩んでいく言葉があります。そんな言葉のお話。
コミュニケーションの天才に学ぶ
私がプロの卵以前、知識もスキルもなく、まだ青々と心も未熟で、ただ右往左往していたころのこと。派閥争いが勃発して進捗が滞っていた現場に、身軽に動ける私が猫の手として投入されました。自分の業務に200%集中しても足りないくらい未熟な私が、言葉の刃を振りかざす、歴戦の猛者たちの白兵戦の只中に放り込まれたのです。
どちらが正しいか判断できれば、まだ楽でした。自分が選んだ陣営に入り、共に戦えばよいのです。未熟な私には、どちらの言い分も、理解し切れませんでした。慣れない業務に溺れそうになりながら、丸腰の小僧が戦場を逃げ惑うがごとくの毎日でした。
しばらくして本社から連絡が入りました。現場の荒廃を知ってか知らずか、地球の裏側からハイテンションの人事部長です。いつも通りの「調子はどうよ?何かおいしいもの見つけた?」のやりとりが、食いしん坊部長と私のお約束。ですが、今回ばかりは、昨日何を食べたか記憶にないほど意気消沈の小僧です。
いいもの食べて心の余裕もたっぷりのグルメ部長は、ハート全開で小僧の泣き言を聞いてくれました。人事部長は聞き上手。相手の言葉を客観的な言葉に置き換えるパラフレーズを駆使して、寄り添う態度を崩さずに、しかし感情に溺れる相手に揺さぶられることなく、冷静に事態を整理していきます。コミュニケーションの天才です。人事部長の場合、言葉の選び方や表現の技術が優れているというよりも、ことばに反映される生き方そのものが、魅力的でした。何ごとも先入観なく、ありのままを楽しんでから、自分の信念に従って決着をつけるという姿勢です。コミュニケーションとは、言葉の技術ではなく、生き方だと、教えてくれた人です。
ひととおり泣き言を終えたところで、そっと差し出されたグルメ部長のとっておきデザートが、このひとこと。
Rise above it.
日本語ではピッタリの表現がみつからないのですが、人生を揺るがすような大きな困難の中で、心を強く持って自分の足で立ち上がり、そこから飛躍していく様子を表現するフレーズです。
日本語の場合は、困難を『克服する』『乗り越える』という表現がよく使われます。困難によって落ちてしまった穴から這い上がる様子や、目の前に現れた壁や山をよじ登る様子が連想されます。粘り強さは、日本の宝。英語では“overcome”がよく使われます。同じ意味でも、粘り強いニュアンスは影を潜め、知恵や技を駆使して解決するような巧妙さが見え隠れ。文化や価値観の違いは、こうして、ひとつひとつの言葉に現れるのです。
“rise above it”に込められたメッセージは、困難と格闘しながら這い上がるのでも、あの手この手で困難と格闘するのでもなく、困難な状況を俯瞰できるくらいの高みに登り、さらに上を目指して飛びなさい、ということ。力強いフレーズです。そして、このことばにはパワーの秘密がもうひとつ。”rise above it”は、相手にその力があると信じているときに、かけることばなのです。受けとる人は、その信頼も、力に変えることができるのです。壮大なパワーを秘めた英語表現です。
人生を変えることばの力
たった一言が人生を変えることは、あります。長い時間を経た今振り返ると、困難にどう対峙するか、私の意識があの時期に変わったのだと思います。言葉の刃に振り回されることなく、問題の本質を見極める。困難に抗うのでも、耐え忍ぶのでもなく、目的を実現するためにできる最善のことをやる。そんな姿勢を、”rise above it”が示し続けてくれました。
人事部長は、おそらくすべてお見通しだったと思います。重要な場面では本社からスター人員が投入され、仕事は無事に完結しました。派閥争いは、確かどちらかが身を引いて収束し、残る一派も間もなく去っていったと記憶しています。未熟な小僧は、縮小したチームで精鋭たちの八面六臂の仕事ぶりに、貴重な学びを得ることができました。
やがて、小僧な私もプロフェッショナルの端くれとして独り立ちするに至りますが、”rise above it”は顕在。誰かの人生を導く力を秘めたことばを、私自身が紡ぐために、修行はまだまだ続きます。